経済ってそういうことだったのか会議/佐藤雅彦 竹中平蔵

読書したもの

この本は内容的には2000年の本なのでとても古いです。なので書いている内容が今と変わっていることもあると思いますが、反対に「2000年頃にはどんな風に捉えられていたのか?どういう風に考えられていたのか?また、どんな感じだったのか?」という、後追いの時代考察に役立ちます。

それと、古い本とはいえ今でも変わってない内容の部分、今では逆にマイナーとなってしまったが使える知識、温故知新的な面もあると思いましたので、また書き散らします。

エコノミクス(経済学)はギリシャ語のオイコノミクス(共同体のあり方)から来ている。

Contents

第1章 お金の正体

まず最初は、貨幣の価値はたとえそれが紙だろうとゴミだろうと、みんなの「信用」によって決まるということです。

確かに我々は何かとても大切なものを形容するときに「それはお金には代えられない」なんて言いますのねりわざわざそんな言い方をするということは、逆に言えば、世の中にあるたいていのものはお金に換算できてしまうというこのなんですよね。

お金の3つの役割。学校でも習ったような。①価値尺度②交換手段③貯蓄手段

ここで読んでいて思い出したのは物語シリーズに出てくる貝木泥舟の名言ですね。

「千石。俺は金が好きだ。なぜかと言えば、金はすべての代わりになるからだ。ありとあらゆるものの代用品になる、オールマイティーカードだからだ。物も買える、命も買える、人も買える、心も買える、幸せも買える、夢も買える
──とても大切なもので、そしてその上で、かけがえのないものではないから、好きだ」

その他この章では「お金とはなにか?」ということで紙幣貨幣の定義や成り立ち、作用等について分かりやすく具体例も混じえて対話形式で説明されてました。

経済のあやしい主役

諸説あるとは思うが、株の名前の由来がわかりやすく書いてある。

最初はもちろん東インド会社。しかしこれは実はヨーロッパにいくつもあった。

最初はまずお金を集めて(投資家が投資をして)、一度航海して戻ってきて、それで利益をシェアして、会社は解散する。一企業一プロジェクト。

そしたらそのうち、いちいち解散させるよりもまた行って帰ってきてまた行ってと継続的な組織になった。これがゴーイングコンサーン。

組織的には毎回建て直さなくてすむので楽だが、お金を出したひとが途中で抜けたい場合、解散しないから会社は出資金を戻せない。だから出仕した人たちが自分の出資した権利を10や20に分割して証文にして、その権利を売買するようになった。これが株券。株分けが由来?

そういう形で企業は続くけれども、持ち主は常に入れ替わって売買できる、流通できる。それが株の仕組みなんです。

イギリスでは株はshares アメリカではStock そんなところも株をどう捉えてるかで異なるんだなぁ。

株価を動かしているものはまず配当、それが銀行や国債の金利と比べて利回りがどうなのかといった点。(リスクが高い分株のほうが利回り高めになるが、あまり株の配当利回りが高すぎると買う人が増えて株価が上がり配当利回りが下がり、銀行預金や国債の金利との差が縮まる)

株価を動かす要因、美人コンテスト。 自分が良いと思っているものではなく、自分以外のみんなが良いと思うもの、これが上がる。そしてそれを予測するのが株。

株価はもう一つ、株価というか会社のバリューは期待と金利で決まる。ある会社の株を全部買ってオーナーになろうと思ったら「いくらなら買っていいか?」というのを考える。まず今の利益がいくらで、それが続くのか?そして増えていくのか減っていくのか?もちろん、続くはずであわよくば増えると「期待する」から買う。金利については、今の一万円と一年後の一万円の価値は異なる。金利分割り引かないと現在価値は出ない。(計算方法は金額÷(1+金利)  2年目なら金額÷〘(1+金利)〙×(1+金利))

だから、企業の価値としての株価は何で決まるかというと、今言った「金利」と、将来の利益がどうかるかという「期待」で決まるんですね。

ボラティリティvolatility(名詞形) 形容詞系でボラタイルvolatile 気まぐれな、変わりやすいということ 株はまさにそれ。それを理解する必要がある。これは投資家だからではなく資本主義社会にいきるなら。

ボラタイルというのは要するに不安定で気まぐれだということです。気まぐれだけど、このマーケットとつきあうしかしょうがないだろう、ということを教え込むわけです。

アメリカでは(2000年頃だと)11歳〜14歳向けの投資商品がある。まぁしかしそれでもロビンフッターがその20年後に現れたわけで、バブルは繰り返すのだなぁと。

その他、企業は誰のものか?というのでも面白い話がありました。日本の会社の社長は投資家から預かった資産の運用代行者としての意識が低く、社員の代表という意識がある。そこが欧米と違う。(どちらがいいかは立場でまた違うとして)だから日本の社長は社員に肩入れしてしまって首を切りにくいとうものでした。一労働者としてはかんたんに首を着られるのはなかなか辛いものがあるので社員の代表のほうが有難いのですが、確かに会社は株主のものとした場合の社長というのは、投資家のお金を事業で運用してる運用者なんだなぁと思いました。

会社は誰のもの?20世紀に「経営と所有の分離」が起きた。所有者は経営しない。経営のプロを雇う。所有者=株主は株主総会でチェックする。労働者も経営に参加させるべきという意見もある。労働組合の経営参加をドイツは認めている。

1980年代からちょっと変わってくる。会社はオーナーのもので持ち主が経営者と会社を監視しなければならないという考え方。これがコーポレート・ガバナンス。なぜこうなったかというと、労働者の権利が行き過ぎてきて居心地がいいようにだけして会社が利益を上げる革新力を弱めてしまった。その反省は日本に当てはまる。こ

コーポレート・ガバナンスは諸刃の剣

なぜ労働者は会社が自分の会社と思うか?こんな説がある。

それはオーナー(所有者)が見えなかったから。オーナーが見えるとこの会社は誰のものかがわかる。そうするとサラリーマンでも自分の会社とは思えない。日本は会社が相互に株を持ち合っていた。だから誰のものかわからなかった。誰のものかわからなかったから、自分のものみたいに感じていた。だから一生懸命働く。所属意識が強い。裏返せば、オーナーが目に見えたら自分は使用人。そんなに一生懸命にもなれない。ところが、オーナーがいないと会社のお金を交際費として湯水のごとく使う。

オーナーの監視が行き渡らなかったがゆえに良かった面も悪かった面もある。

払うのか 取られるのか

税金から民主主義は始まった。王様がいた時代、王様の財布と国家財政に区別はなかった。王様は使いたいだけ使った。必ず財政赤字になり、税金を上げ、耐えられなくなって国が滅んだ。そこに民意など当然なく民主主義はなかった。

それじゃいかんので、チェックするために議会ができた、これが租税民主主義。税金だけまずは管理させて王様以外にもということ。といっても最初は民意はない。王様以外で話し合うけどブルジョアジーと言われる有産階級の豊かな人々の民主主義。

民主主義が、税金のことをあれこれ決めるために生まれてきたということはわかったんですが、そうすると、その決められた税金の形というのは、その社会がどうあるべきか、つまり、共同体のあり方を示していることにもなりますね。

理想の税はあるのかないのか?難しそう。人頭税というのは国民一人に全く同じ税をかける。これは単純明快で頑固なほど平等。

よい税金の三条件 簡素 公平 中立

公平には2通り 水平的な江寧と垂直的な公平。水平的な公平はAさんとBさん受ける利益が同じなら税金も同じ。垂直的公平は、所得税のように多く払える人は多くはらってもらう。そのほうが公平だとさという考え。

ただ一つ言えることは、お金を稼ぐということは、この社会の中で価値を生み出しているということです。たから、価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば、とり方にはあまり差をつけないほうがいいですよね。そしてその差を徹底的になくそうと思ったら先の人頭税になります。

税金を誰が払うか、能力がある人に払ってもらうのが応能負担。便益を受けた人が払うのが応益負担。消費税は使った分だけ払うのでまさにこれ。

消費は稼いだ額と長い目で見ると同じになるはずなので結局はイコールだが、所得を把握するのは大変。消費のほうが分かりやすい。あとサービスを提供して所得を稼いでるのは良いことなのだから、そこで取らずに楽しんで消費したときに取ったほうがなんとなく払った方も納得できる?

税金の所得の再配分効果。これはやりすぎるといくら働いても税金を取られるのでやる気をなくす。もらう方はそんなに働かなくても食べていけるので真面目にやる気をなくす。双方やる気をなくす。

この本の内容当時はサラリーマンの3割は税金を払ってなかった。経済が悪くなったときに景気刺激で所得税減税をやりたくなったが払ってない人たちは減税のしようがない。だから地域振興券ができた。

簡素公平中立の他に税金を集めるためのコストも考えないといけない。今の日本を見るとバラ撒きのために無駄にコストをかけている気がする。単純に減税すればコストもかからないのに。

サラリーマンは源泉徴収も年末調整も全部会社がやってくれる。税務署の場所も、自分がいくら税金を払っているのかも知らない、納税の意識が薄いのが問題。国としては楽かもしれないが、それでいいのか納税者。

関税。発展途上国にとっては輸入輸出の関税はとても大事。発展途上国で輸入なんてする人はお金持ち。だからそこから税金を取ればいいから輸入に税金をかける。日本は関税が高いと怒られてるが、途上国は税収の大部分がそれなので、下げろと言われると逆に困る。

豊臣秀吉は土地に税をかけたという話での妄想。もし自分が当時の農村で農民として働いていたら。小作農にせよなんにせよやはり人では常に足りない。人を増やす=子を産む。土地は限られていて手間はヘルけど税金取られる。だから内緒でこっそり山とかを開梱して税金を取られない畑や田んぼを作ってたんだろうなぁ。全ては食うため。

人頭税は考え方によっては赤ちゃんにも税金がかかる。だから大国ではなじまない。お金がないと子供を育てられなくなるから子供も減る。その逆をやったのがルーマニアのチャウシェスク政権。チャウシェスクの子どもたちの描写で悲しいのがあったので引用。

映画の撮影でルーマニアに行ったときに、ブカレストで泊まったホテルの近くにピザハットがあったんです。そこは夜中まで開いてるからスタッフと言って打ち合わせを毎晩やってたんです。その時ふと気づいたんですけど、店のすぐ外の路上で、一人の小さな女の子が壁にもたれて歩道に直に座ってるんです。彼女はスカートから出た両足を道の方に投げ出すようにして据わってたんですが、なぜそんな座り方をしているのかというと、そのそろえた足の上に幼い弟を寝かせているんです。それが弟のベッドなんです。冷たい地面の上に弟を寝かせるわけにはいかないという、小さなお姉さんのすごい気持ちですよね。夜は危険だから、少しでも明るい店のそばでそうやって一夜を過ごすわけですね。これが「チャウシェスクの子どもたち」なんだと思いましたね。そういう子供たちが街中にあふれているんです。

税金のあり方が人のあり方を変える。中国は以前一人っ子政策をやってた。子供を何人産むかは人間の根源的な部分。国家が介入しちゃいけない。

なにがアメリカをそうさせる

アメリカはなぜ1番が好きで、他所の国の問題にも首を突っ込むお節介焼きなのか?アメリカは日本の25倍の国土と倍以上の人口があるので、アメリカ全てがそうというわけではない、同質ではないというのを前提に考える。

アメリカはスタートが宗教の柵が多いイギリスからニューワールドを求めて出てきた人たち。他の国と違うという認識があったのでは。昔は世界の警察なんて言ってた時期もあったがもう今はそんな認識若い世代にはないだろう。でも世界にコミットしていたいという本音もある。影響力を失うのが嫌。

大国はドコモ二枚舌。

アメリカは歴史が浅い国だがそれ故にルーツを探そうと歴史学が発展。フロンティア理論。フロンティアがあるときアメリカは強い。1970-80年代はフロンティアがあんまりなくなったから弱くなった。あ

アメリカがスピード優先の国になった理由は、最初の国がその後の世界の基準を作るから。JOJO7部の大統領の言ってたやつですね。

早くやるために試行錯誤をたくさんやる。規制緩和してなんでもやらせると一万人に1人くらいすごいアイデア持った人が出てくる。日本にもできる人はいるが日本じゃできない。

アメリカに産業という言葉はない。日本にはあるのは後発で追いつく必要があったから。日本は追いつく必要があったので補助金を出す。先を行くアメリカは競争力をつけさせるためにもっと競争させる。業界という言葉もあるが、これができたのは第二次世界大戦の頃らしい。統制するために生まれた?

アメリカの経済学者と日本の経済学者で意味が違う言葉「構造改革」日本は政府が規制とかで構想を作っねるからこれを改革しようという概念。アメリカだと企業は自由にやってるから結果として構造みたいなのはできるけど事前に作ってるものではない。個人的にはそれでもアメリカにも構造はあってそれの改革もあると思う。自然界で言う借物連鎖みたいな。

アメリカは本当に使い捨ての国か?個人的には使い捨てのものとそうでないものに分かれると思う。日本人の方が家具とか捨て過ぎじゃないかな。家具家電も直さない人が多い。中古住宅も最近は違うかもしれないが、やはり印象として日本は建て替えが多くアメリカはリフォームリフォームが多い気がする。あくまで気。ただ中古マンションは50年以上のものも立地がいいと壊さず使い続けてるのが多いこれもまた気がする。

アメリカがアメリカたりえるには「ニューワールド」「フロンティア」「多様性」が必要。

お金が国境をなくす

この本の出版された当時はユーロがまだない。今となってはイギリスはユーロから出ているので、そもそもなぜユーロができようとしたのか、どんなメリットデメリットがあるのかが載っている。

日本も江戸時代は、江戸と浪速で流通貨幣が違った。江戸は金、浪速は銀。

通貨が分かれているデメリット・交換がめんどくさい。コストがかかる。メリットはそれぞれが通貨主権を持てる。個別に金融政策もできる。

通貨統合のメリットは、それぞれで通過の変動がなくなるので物価も測りやすい。共通の通貨を持つことでヨーロッパ全体で強いユニットになってドルや円に対抗できる。

ユーロ体制の中心はフランスとドイツ。欧州中央銀行はドイツにある。ドイツを中心とした通貨体制。内容もドイツ型。ドイツ型とは、通貨価値の安定を最重要としている。金融引き締めや景気対策なんかよりも通貨の安定。ドイツは過去とんでもないインフレを経験しているからインフレは何が何でも抑えたい。

フランス・イタリアはドイツにユーロに入ってもらうためにすごく譲歩。

日本の円はたぶん基軸通貨になることはない。円が海外で使われすぎると困ることもある。海外で円のマーケットが出来ると日銀はコントロールできない。国外のマーケットで需要と供給で金利が決まってくると、金利のコントロールが出来なくなる。

ドルが世界中で持たれるようになったのは、アメリカがまず最初にドルで貸付を各国に行ったから。そうするとドルで返さないといけないのでドルを持つようになる。日本も円で貸してまわれば各国円を持つようになる。

もし全部の国の通貨が統一されると、まず物価。これは地方格差というのが出てくるかもしれないが、基本的には価格調整が為替面でできなくなるので実物面で調整しないといけない。しかしそれは難しいので貧しい地域からはお金もモノもでていってしまう。

経済の統合は通常5つの段階を経る。最初は自由貿易圏で自由な貿易、2つ目が関税同盟で共通の関税。3つ目が市場の統合、お金とモノの移動を自由に。4つ目が経済の統合、例としては、ドイツで認可された薬はヨーロッパ全体で認可されたことになりマーケットが広くなる。5つ目が通貨の統合。これは他にも例があったわけではない。ヨーロッパを例としてバラッサという人がいった説。アジア経済の統合にはあてはまらない。

強いアジア、弱いアジア

昔の話なので自分は知らないしここで知っても実感がないが、以前アジアで経済危機が起きた。タイと韓国で通貨の切り下げがあった。通貨が一気に切り下がると輸入品が高騰して一気にインフレが加速。インフレだと金融引き締めしないとならなくなり不景気になる。

海外の投資家から見るとタイに投資というのは例えばタイに工場を建てること。タイの通貨が暴落すると投資家は資金を引き上げる。資金が入ってこなくなる。発展途上国には資金が入ってこないのは致命的。国内の投資が一気に冷え込むと不景気になる。

アジアはお互いに密接に関係してたので、他の国に飛び火した。

アジアの経済危機が起きた理由は多元主義におけるチェックアンドバランスが作用しなかったという意見。多元主義におけるチェックアンドバランスとはようは市場原理、マーケットメカニズム。タイは外国為替市場バーツがちゃんと市場原理で価格が決まってなかった(ドル連動という想定?信用?があった)、韓国は産業を急いで育てるためにスタープレイヤーとなる企業を育てようと財閥優遇、財閥は金融機関も持ってるからちゃんとした審査をせずお金が融資されてた。インドネシアは政治の面で働いてなかった。

多元主義で色んな価値観の人が競争すれば健全な社会ができるというのもわかるが、アジアの人たちはそうは思ってないところもある。自由に競争させた結果制度が整うだろうという欧米的な考えと、いきなり自由はカオスだからまずは規制して少しずつ自由化しようというアジア(というか日本や中国では?)の考え方。

日本はじゃあ多元主義でのチェックアンドバランスをやってたかというと、金融という重要な部分でやってなかった。護送船団方式で競争をさせなかったから大きな間違いを起こしてしまった。

多元主義がきちんと機能していれば、そこに緊張感が生まれ、緊張感があるがゆえに大きな間違いは犯さないんですね。多元主義というのは、大きな間違いを防ぐ非常に重要なシステムだと位置づけられます。

読んでいて思ったこと。こうして何か過去の出来事は後から容易く分析できて理解できる。しかし今現在行われていることで、将来何が爆発するか予測するのは難しい。しかしながらこの多元主義が働いていないものというのは間違った方向に進むと歯止めが聞かず大爆発しそうなんだなぁとなんとなく理解できた。以前読んだサブプライムショックの原因について書かれた「ウォーレン・バフェット華麗なる流儀」の中でも、やはり格付け会社の格付けの甘さ、馴れ合い、本来貸してはいけない人にお金を貸していたというのは、チェックが働いていなかったからだろうか。読んでいるとあれもまたある種の競争を行った結果として利益追求に走りすぎたようなものだとは感じたが。競争してたのにパターンというか抜け道というか、ある立場になったらもう競争からアガリ。あとはもうそこに胡座をかいていれば儲かる。みたいになると、それ以外で競争していたとしてもチェックアンドバランスが働かないということなんでしょうか。思い出しましたが日本で数年前にスルガ銀行が不正融資で本来返せそうにない賃貸用不動産と、年収を勝手に書き換えてやはり返せそうにない人に多額のローンを組ませていたのが問題になりましたよね。不動産会社の方はかぼちゃの馬車みたいた名前でしたっけ。あれもまた、元々はスルガ銀行が他の銀行に負けないように活路を見出した先として不動産投資をする個人に融資をして利ざやを稼ごうというのがあったはずでしたね。で、不動産会社の方も家賃保証をつけたりして、辺鄙なところでこんなところの賃貸誰も借りないだろうというようなところでも家賃保証があるならと、不動産投資に興味を持った人に次々とローン組ませて不動産売ってましたね。不動産会社からすればスルガ銀行は融資が通るから便利、スルガ銀行からしたら不動産会社は案件持ってきてくれるから便利、とお互いが談合というか結託というか、そんななぁなぁな感じになってしまったからダメだったんてしょうかね。

開発経済学 貧困の悪循環 所得が低いから食べていくのがやっと。そうすると貯蓄できない。貯蓄できないと投資もできない。投資できないと貧しいまま。

もしも発展途上国に、投資として国を成長させるために工場を作るとする。何の工場を作るべきか?産業の形で前方連環というのと後方連環というのがある。鉄などの素材から産業を育てていずれ商品等に展開させようというのが前方連環。ソ連がやった。鉄の工場増えた。でも使い道を育てられなかった。後方連環。消費財の工場をまず作り、そこから産業の川上へ向かっていく。こっちの方が、先に消費財として需要があるものから作っていくから儲かってうまくいく。例えるなら銀行が色々他の事業をやろうとしてもうまく行った話があんまりないけど、イオンやソニー等のメーカーや楽天等のサービス業が始めた金融はそこそこうまく行っているようなものだろうか? で、前方連環で必要な消費財から作るとして何から作るか?セカイで売れるもの?いや、その前にまず自国が輸入しているものを作る。それで競争力をつける。

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